お葬式

2007年10月4日 日常
*今回はちょっとしんみりしたお話です。

父方の祖母のお葬式に出席してきました。

前日当直だったので、朝起きるなり喪服に着替えて病院から車で出発。
ダンナは仕事だったのと、
当直明けに病院から出るほうが一旦自宅に帰って出るよりも100km実家に近いということもあり
私一人で出席しました。
途中空港で妹と姪っ子を拾い、そのまま葬儀が行われる会場へ・・・。

着いたら15分前でした。
すでに親族は会場に通されており、バタバタしながら会場入り。

まもなく式が開始され、滞りなく進行。
神主さんの唱える祝詞を聞きながら、祖母の遺影に目をやる。
そこには数年前、認知症が始まった当初と思われる祖母の顔があった。

祖母の遺影を見ながら、昔のことを思い出していた。

大学入学まで一緒に暮らしていたのにもかかわらず、
私には祖母に可愛がってもらった記憶がない。
祖母の姿で思い出すのは実家の家業をしている姿。
不思議と祖母が台所に立っている姿は見たことがない(祖父はあるけど)。

姉が生まれたとき、数回姉をあやしたことはあるらしいが
私が生まれてからはなし。
同居にもかかわらず、孫が泣こうがわめこうが一向にあやそうとしなかった祖母。
だから母は子どもをおぶって家業をしていたというのは母親から聞いて知った。

私は幼少期から数回入院歴があるが、
その度に付き添いにつくのを嫌がったという。
結局入院のたびに母方の祖母が付き添ってくれた。
私が交通事故で長期入院したときも、見舞いに来てくれたことは1回もない。

その一方で私の妹が入院した時には付き添った父方の祖母。

そんな状態だったので、私が父方の祖母に懐くことはなかった。

学生時代は実家に帰った時に顔を合わすことはあったけど
仕事についてからは実家に帰ることがほとんどなかった。
そのせいか、認知症が始まった時最初に忘れた孫の名前は私だった。
姉や妹の名前は出てきても、私の名前だけは出て来なかった。

その祖母が施設に入って5年。
その前から会ってないから、もう7−8年会っていなかったことに気づく。

私が結婚した時、家族の顔見せをしたけど
母方の祖母は呼んだのに、父方の祖母はあえて呼ばなかった。
きっと私が結婚したことも知らないだろう。
こんなにいいダンナが私の伴侶についたなんてことも知らないんだ。

そんなことを思っていると、いつの間にやらお棺にお花を入れる番が来た。

その時に久しぶりに祖母の顔をみた。

全然何も感じない自分に驚いた。
悲しいとも、寂しいとも思わない自分。
“きっと今私は無表情なんだろうな”と思う自分がいた。

その時に「私はこのばーさまがやっぱり好きじゃなかったんだ」と思った。
そしてそう思った自分がたまらなく嫌だった。

お棺に花を入れた後、父親のところに行った。
「まだお花残っているから入れたら?」と声をかけようと思ったけど、
父親の顔を見て言葉を飲み込んだ。

父親の目には涙がにじんでいた。

生まれてからずっと祖母の背中を見てきた父。
一番末っ子で生まれたから一番愛されそうなものだけど
祖母が何より可愛がっていたのは父より8つ年上の父の兄(伯父)だった。

祖母の仕事が終わって帰ってくるのを、毎日堤防で一人夜遅くまで待っていた話は父から何度も聞いていた。
祖母に振り向いてもらおうと勉強もスポーツも頑張っていた少年時代。
けど結局伯父には勝てない父。
祖母には振り向いてもらえなかった。
祖母の視線の先にはいつも伯父がいたから。

父が大学受験のときに
「このままでは家業の跡継ぎがいなくなる」と
大学に落ちるようにと近所の神社に祖母が参拝していたのは有名な話。
祖母の願い叶って父は大学受験に失敗。
落ち込む父に
「家業をついでもらわんといけんから、神社でお頼みしよったんよ。よかったよかった」
と言った無神経な祖母。
でも父が家業を継いだあとも祖母が事あるごとに話に出すのは、
大学を卒業して出世した伯父のこと。

認知症になった祖母を最後まで面倒を見たのは父と母だった。
施設に入った後、
費用がかかるからとお金を出すのを渋った伯父と伯母に対し
「自分が全部持つからいい」と言い切り、
最後まで全額費用を出した父。

亡くなった後も葬儀費用やら物入りなのに
全部自分で費用を出した父。

比較されて辛かった時の方が多いだろうに。
祖母が可愛がっていたのは伯父であって
父は「家業の跡取り」ぐらいにしか思われてなくて。
自分の家を建てようとお金をためていたのに
「○○(伯父・伯母)が家を建てるからお金を出してあげなさい」
ってじー様やばー様に言われて、
お父さん結局全額費用を出す羽目になったでしょ?
それで自分の家を建てるのが延びたって。
お母さんから聞いて知ってるよ。

ねぇ、そんな仕打ち受けてるのに何でそこまでできるの?
なんで涙が出せるの?

そう思いながら父の顔を見ていると、
父親がぽつりと言った。

「いろいろあったけどな・・・昔を思い出しよるんじゃ」

いたたまれなくなって、その場を離れた。

式が終わり、斎場に移動。
1時間半後お骨を拾って骨壷に入れた。
最初は1人1回と言われたけど、骨壷が大きくて余ってしまったので
「せっかくだから入れるだけ入れてくださいね」と言われた。
でも父は一回しか骨を拾わなかった。

その後骨壷を抱いた父を私の車に乗せ、実家に帰った。
その道すがら、父が骨壷に語りかける。

「おばあさん、○○(実家のある地区名)に帰ろうや」

「おばあさん、○○に着いたよ」

その優しい声を聞いて・・・ちょっと涙が出た。

実家に帰って、近所の人や親族が帰ってから
2人きりになった時、父に祖母の事を聞いてみた。
恨んでないのか?と。

父の返事は

「兄貴(伯父)や姉貴(伯母)はオヤジ(祖父)の影響が強かったけど、
ワシはずっとおばあさんの背中を見てきたから・・・」
「ワシは兄弟の中で一番おばあさんの影響を受けとると思うとる」

どんな仕打ちを受けても、父にとって祖母は大事な存在だった、ということか。

一通り話し終わった後、

「話を聞いてくれてありがとうな」

そう私に言って、父は2階に上がっていった。

去っていく父の背中を見ながら
“今までずっと話したかったけど話せなかった本音なんだろうな”と思い、
父が年を取ったことを痛感した。

気づけば父ももう60歳。
何が起きてもおかしくない年になっている。
父が死んだ時、父のように私も親のことを思えるのだろうか・・・。
わからない。

祖母の納骨には行かない予定だったけど
父の話を聞いた今、
仕事の都合をつけてダンナと行ってみようと思います。

コメント

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索